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愛用者インタビュー
ゲスト : 日高 さま
インタビュー : 小泉庸子

45歳のころから補聴器ユーザーになって15年。
仕事に、プライベートに充実した毎日を送っている方がいらっしゃいます。
4回目は東京都世田谷区の日高さまを紹介いたします。

若いころからの酷使が 40歳を過ぎて聞こえに

「最初に気づいたのは15年前、会社の健康診断を受けたときでした。聴力検査であの“ピー音”がまったく聞えなかったんです。まだ45歳だったということもあって、検査の方が『そんなはずはない』とヘッドホンの故障を疑ったくらい(笑)」 若いころから耳を大事にしていない生活をしてきたと日高さま。小さいころに中耳炎に罹り、耳が弱くなっていたこともありましたが、当時、流行していた「“若者文化”にどっぷりだった」と振り返ります。 日高さまが青春を謳歌していた1970年代、若い世代にとってなくてはならないもののひとつが音楽。とくに激しいサウンドを聞かせるハードロックがとくに人気を集めており、もちろん日高さまもそのサウンドの虜に。 「音楽が好きで、なかでもハードロックは中学生のころから夢中になって聞いていました。聞くだけでは飽き足らず、高校生になると軽音楽部に入部して、自分で演奏する方にもなったんです。そんなハードロック好きばかりが集まっていますから、狭い部室はいつも耳をつんざくような大音量が響きわたっていましたね」 次に夢中になったのは“ディスコ”。大きなスピーカーの前に陣取り、耳のみならず、身体全体でサウンドを受けとめる楽しさを享受していたそうです。そして大学生になって始めたのが“サーフィン”。早起きをしてせっせと海に通ったとか。 その熱心さが仇となり、日高さまはサーファーズイヤーという病気になってしまいました。 サーファーズイヤーとはサーフィンに真剣であるほどなりやすい病気で、とくに海水の温度が低いところで起こりやすいとされています。ここからも日高さまがどれほどサーフィンに夢中だったかが見て取れます。 そんな大音量と海で耳を酷使する生活が難聴という形で現れたのは40歳を過ぎたときだったのです。

45歳のときから15年間にわたり補聴器を愛用している日高さま。働き盛りで、任される仕事も大きくなる年齢ゆえ、聞えないことは「職場に迷惑がかかる」と補聴器を使うことを決めたそうです。

会社の先輩の一声に 背中を押されて

日高さまの仕事は比較的静かなオフィスで、デスクワークが多いそう。 「ですから、徐々に聞こえなくなっていることに気づかなかったんですね。でも同僚たちは呼んでも反応が悪かったり、返事をしない自分に対して、耳が遠くなっているようだという認識はあったようです」 とはいえ周囲も「耳が遠くなった」とはなかなか言いづらいもの。その一方で日高さま自身も、何度も聞き直したり、生返事になったりということに気づいていた時期もあったそうです。 「人とのコミュニケーションが面倒くさくなって。会話を避ける時期もありました」 ただし、若さゆえでしょう、聞えが悪いことと難聴がすぐにつながりませんでした。 「まさか自分が、この年で難聴?」 そんな想いを抱く方も少なくありません。 そんなときに先輩が「僕の兄も補聴器を使っている。試してみてはどうか?」と声をかけてくれました。 「でもね……本当に抵抗がありました。とくに周りの目がすごく気になっていたんです。でもまだ45歳。仕事で迷惑をかけたくないし、これから先、会話のたびに『え?』と聞き返す人生を想像したら、トライしない方が嘘だなって。それでエイヤッとお店の扉を開けたんです」 当初は片耳だけに装着。それでも街の雑音に驚かされたと振り返ります。 「クルマの音、話しながら歩いている人の声、あぁ、街はこんなにもうるさかったのかと感じ入りました」 しかし、音の不自然さにも気づきました。若いころから長く音楽を愛してきたがゆえに、片耳だけでは音はわからないことを肌で理解していたのでしょう。 「両耳に装着したら、音はあらゆる方向からやってくるのだと、音とは立体的なものなのだと改めて気づかされました。音を豊かに感じられることもありますが、両耳で聞こえる方が断然言葉が聞き取りやすいですね」 片目だけ眼鏡をかけるとおそらくピントが合わないのと同じで、両耳がちゃんと聞こえることで一人前なんでしょうね、と日高さま。両耳装着を勧めます。

「使いはじめた年齢が若かったですから、慣れるのも早かったかもしれませんね」と装着した当時を振り返ります。いま気になっているのが、これまで使ってきたモデルよりも指向性が高いという新製品なのだとか。

プライドよりも 聞えることが大事

できるだけ目立たないものを求めて、とある百貨店で耳穴式の補聴器を求めたそうですが、「手入れが悪くて3~4年でダメにしてしまったんですよ」と笑います。 そこで二代目の補聴器の購入を決意し、訪れたのがヒヤリングストアでした。 「専門店で、専門知識を持った方から購入したかったことがヒヤリングストアを選んだ最大の理由です」 以来、関係は10年以上続いていますが、思わぬ理由で補聴器を壊してしまい、来店回数を増やしているそう。 「肌色の補聴器を使っていたのですが、外してそのままテーブルの上に置いていたら、酔っぱらって、ピーナッツと間違えて“ガリッ”(笑) もうひとつは着けたまま寝てしまい、寝ているうちに外れてしまったんでしょうね、踏んでしまって“バキッ”(笑)ともに『修理不可能』と言われて、新しいのを作ることになりました」 そんなことから、目下、日高さまがお使いの補聴器は、黒色と肌色と左右バラバラになってしまったとか。 「着けたときに目立たないようにと肌色を選びましたが、耳内にあるので、肌色でなくてもいいんです。ですから、外したときに見つけやすい色を選ぶのをお勧めします」 最近の補聴器はカラーバリエーションも魅力ですね、と続ける。そしてもうひとつの魅力がひとりひとりの耳の形状に合わせたオーダーメイドとも。 「ピタッとはまるので、違和感がないんです。慣れないうちは『取れなくなっちゃうんじゃないか』と不安になるかもしれませんが、勇気を出してグッと押し込むのが“コツ”です」 45歳という若さで補聴器を使いはじめる人は珍しいが、だからこそ慣れも早く、補聴器を日常にすることが容易だったと話します。 「聞こえるって本当に楽しいし、補聴器は着けたら手放せないですね。できるだけ着けたくないという声も聴きますし、実際、私の母も着けたがりませんでしたが、プライドなんて聞こえることの前ではちっぽけなこと。木の葉のこすれる音、鳥や虫の鳴き声といった“季節の音”を感じる幸せをかみしめています」 そして、補聴器の将来にも大いに期待を寄せています。 「私のように、耳を大事にせずに起こる難聴は、“生活習慣病”ですよね(笑) ただしこういうタイプの難聴の方もおられるでしょうし、超高齢化で補聴器を必要とする人も増えています。となれば、最新鋭のモデルが安価に登場するかもしれないですよね。そうなればシーンによって補聴器を使い分けすることもできるでしょうし、聞えの幅も広がっていくはずですから」

かじって壊して、踏んで壊して――。つねに日高さまのそばに補聴器があるからこそのエピソード。その結果、補聴器の色が左右違うのです。 日高さまと二子玉川店の店長・舛川とのお付き合いは10年以上になります。「初めて来店したときから担当いただいています。なんでも相談できるし、情報もいただけるので助かっています」。