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補聴器と私
還暦後30年間の充実した人生の支え

愛用者インタビュー
ゲスト : 野田 一夫(のだ かずお) さま

現在、(財)日本総合研究所名誉会長。1927年愛知県生まれ。’52年東京大学社会学科卒業後3年間同大学大学院特別研究生(企業経営論専攻)を経て立教大学に赴任し、助教授を経て教授就任。同大学在任中にマサチューセッツ工科大学およびハーバード大学フェローを歴任したほか、学外で(財)日本総合研究所初代所長や(社)ニュービジネス協議会初代理事長などを兼任。1989年60歳で立教大学教授を定年退職後、多摩大学、宮城県立大学、事業構想大学院大学の創設責任者の任を果たした後、いずれも初代学長を務めた。企業経営論、大学論などでの著書や論文多数。とくに、ピーター・ドラッカーの学説の日本への紹介者として、また、(株)H.I.S.社長・澤田秀雄氏、ソフトバンク(株)社長・孫正義氏、(株)パソナ社長・南部靖之氏など多数の起業家型経営者の創業期の助言者としても広く知られている。

(左)財団法人日本総合研究所 名誉会長 野田 一夫さま
(右)株式会社リードビジョン 代表取締役 清水大輔

「お客様の声 – VOICE -」開始について

私(清水大輔)が“ヒヤリングストア”を創業して、今年でちょうど15年目を迎えます。それを記念して、補聴器を利用されながら人生を謳歌し多方面でご活躍されているお客様のナマの声を順次当社のホームページ上で皆様にお届けする「お客様の声 – VOICE -」を始めようと思い立ちました。その第1回目のゲストスピーカーを、目下、世に“日本経済界のゴッドファーザー”とも称されておられる野田一夫 先生にお願いいたしました。  先生は、今年6月22日で卒寿=満90歳を迎えられましたが、今なお“企業成長論”や“経営者論”の権威として学界および経済界でその名は広く知られ、超多忙な日々を送っておられます。補聴器を愛用され始めた頃、先生はすでに70歳になっておられたそうですが、以来今日まで約20年間にわたり、学界やマスコミ上などで、とうていそのお歳とは考えられないような驚異的活動実績を挙げてこられました。今回はその先生から、先生と補聴器に関し、仕事と個人生活の両面からの生々しいお話をお伺いいたします。

ようやく90歳になったが、何故かまだ、 “老人”という意識には全然なれない

清水 : 先日(5月22日)品川の大イベントホールで開催された経済5団体主催の『野田一夫90歳記念講演会&バースディパーティ』に出席させて頂きましたが、何と千人近い来会者であの広いホールは満員大入りの大盛況で、先生に直接ご挨拶もできませんでした。改めて卒寿、おめでとうございます。

野田 : ありがとう。僕は還暦、喜寿、傘寿と10年ごとに友人知人たちから盛大に祝ってもらったが、「…卒寿と称する90歳のお祝いとなると地味だろう」と思っていたのだが、どうして、どうして…。

清水 : 日本は長寿の国になり、90歳という年齢の方も珍しくはなくなりました。とは言っても、先生のようなお齢で、信じられないほどの若々しい外見にふさわしい活発な対社会活動をつづけておられる方を、私は他に存じ上げません。その何よりの証拠が、今回のパーティーの大盛況でした。

野田 : 自分で考えてみても、たしかに、80歳の頃より90歳の現在の方が知識や経験が格段に増え、そのおかげで、この10年で学界や産業界を中心にいろいろな分野でいわゆる“人脈”が、驚くほど更に広がった。だから、「過去10年間の僕の“老いの人生”は無駄でなかった」と思って満足しているよ…。

清水 : 私が申すのも生意気な話ですが、戦後の日本では昔に比べると、男女とも健康寿命は大幅に伸びつづけていますが、いろいろな意味で、女性に比べ男性の方が元気が無いと言われています。その点で、失礼ながら、私はお会いして以来ずーっと、先生を超“規格外的老人”と思っております(笑)

野田 : …そう言われれば、僕自身も、還暦以来歳を重ねるにつれて気力が充実してきているように感ずる(笑)。30歳頃に立教に赴任して早々、僕は日本最初の“観光学科”設立の責任者に任ぜられ、創設後は初代学科長の任を果たした。以来歳を重ねるにつれ、学外でもいろいろ創造的な仕事をまかされるようになり、教授時代には、日本のシンクタンクの先駆け(財)日本総合研究所とかベンチャー経営者の団体(社)ニュービジネス協議会などの創設に尽力した後、すべて経営責任者の任を果たした。立教での僕の定年が近づいた頃、欧米先進国に比して明らかに立ち遅れている日本の大学経営の改革が国民的世論として急速に高まった。僕はその世論の高まりを当然のことと受け止め、マスコミで“大学改革論”をしきりに強調したせいか、60歳で立教退任後実に約30年の間に、(全て設置者の依頼を受け)多摩大学、宮城県立大学、事業構想大学院大学の創設責任を果たした後初代学長をつとめてきた。実は…、90歳を迎えた今でも、新しい大学創設の相談が未だあり、歳をとる暇が無いんだよな…(笑)。

尊敬してやまない父譲りの進取の気性

清水 : 先生が、そうした充実感を絶えず抱きつづけて生きてこられた、そもそもの原動力は何でしょう?

野田 : 何と言っても、子供の頃から父親に徹底的に叩き込まれた“くよくよしない性格”のせいさ!(笑)

清水 : そう言われるお父様はどんな方でしたか?

野田 : 90年の僕の人生で、一番尊敬する人物…。日本の航空技術者の“草分け”だが、その生き様が典型的な“明治の男”だったと、僕は今でも常に敬愛し、あの世でまた父に会えると思うのが、僕の死後の最大の楽しみさ…(笑)。父は盛岡中学生の頃ライト兄弟の快挙に感激して航空技師を志し、猛勉して、当時日本にただ一つしかなかった大学=東京大学の理学部に入学したが、何と当時の東大には航空に関する専門家がいなかったため、卒業後にドイツに留学までして、日本の航空技術の草分けとなった。  結果として、第一次世界大戦後に戦勝国を中心に起こった、“軍用機開発ブーム”の最中に誕生した三菱財閥の航空機製作会社に招かれ、海軍軍用機の開発・生産の総責任者となった。その父の一人息子として生まれ育った僕は、ことさら父を誇りとし、子供の頃から一途に航空技師になろうと志して努力しつづけたのだが、旧制高校理科在学時に祖国は敗戦し、占領軍の「航空機の製造・保有の永久禁止」令と共に僕の“少年時代からの志”も潰えた。しかし、尊敬してやまなかった父の存在と、少・青年時代の一途な目標達成努力は、その後現在までの僕の人生の基礎を固めてくれた、と今も固く信じている。

ヒヤリングストアとの出会い

清水 : いや、感動致しました。もっとお父様のお話を伺っていたいのですが、時間の関係で残念ながらこのあたりで話題を一転し、先生と補聴器とのご関係に移らせていただきます。お話を伺いながら益々知りたくなったのですが、肉体的にも精神的にも常人より遙かに元気にお歳を召された先生ですが、補聴器は何歳頃から、使用されるようになられたのでしょうか?

野田 : さあ、はっきりとは覚えていないが、多分70歳頃からだったでしょう。日常生活上の不便は未だしだったが、仕事上の不便を感じ始めていたのでね。例えば、頼まれた講演や講義のあとでの聴衆からの質問とか、あるいは、シンポジウムの司会者などをしている際、壇上で遠くに並んでいる講師の発言なんかを、時に聞き取りにくく感じ始めていたのでね…。そうなると、性格上あまり人前を気にしない僕は、新聞広告か何かを見て、あるメーカーの補聴器を購入し、人前も気にせず着用しつづけていたものだ。  その頃のある日、僕の“親友中の親友”と言ってもいい椎名武雄君(当時は日本IBM社の社長か、会長だった)が「ノダちゃんともあろう者が、そんな安物をつけていては駄目だ!…」と言って、おもむろに自分が着用していた補聴器をはずし、得意げに「…お勧めは、何と言ってもこれだね…」と示してくれた。見るからに僕の補聴器に比べて高級そうなその補聴器の側面に、SIEMENS(シーメンス)のマーク…。  そして彼は驚くほど力を入れながら僕にもその着用をすすめるとともに、別れ際、「明日ここに電話し、ヒヤリングストアの清水さんにアポを取れよ、僕が今日中に電話してノダちゃんのことを詳しく話しておくから…」と、実に友情溢れる説得をしてくれたんだ。彼の能力はもとよりその人柄をも120%敬愛している僕は、こうして君に始めて会ったわけだね…。

清水 : おっしゃる通りです。先生に初めて目黒店でお会いしてから、振り返ると、もう10年近くが経っていますが、改めて思い返すと、先生はあの頃すでに相当なお歳でしたのに、今も外見から立ち居振る舞い、話しぶりに至るまで未だあの頃と全く同じように若々しく感じさせられます。改めて驚く、と言うより深い敬意を感じております。

野田 : 君の賛辞を嬉しくそのままお受けする…(笑)。君の話を伺いながら実は、若い頃僕を健康な身体に生み育ててくれた両親と、社会人になって以後の僕の健康維持に努めてくれた妻に対して心から感謝している。だから僕はその貴重な“健康”を維持しようと、90歳の今も努力しつづけているよ。例えば、毎日30分かけて自宅から赤坂の個人オフィスまで地下鉄で通勤しているし、どこへ行くにもなるべく公共の交通機関を乗り継いで行くようにさえ努めているのさ…。学生時代に山岳部員だったこともあるが、日々脚を使っているからこそ、あり難いことに、90歳の老人にしては脚が未だ衰えていないのだよ…。

清水 : 私は仕事柄、70~80歳代の方を多く存じ上げていますが、先生はご年齢の割には、驚くほど健脚であられますね。それこそ、僕が追い付けないのほどの速足で歩かれるので、正直、ついて行くのが(笑)。

野田 : その話を伺って改めて感ずるのだが、職業を問わず日本の社会的成功者にとって、一般的に最も危険なのは“専用車”だ。例えば、大会社なら大体は副社長の頃から社用車がつき、社長から会長へと昇進ルートを辿ると、晴れて退任するまでの15年から20年間は、日曜日のゴルフ場への行き帰りに至るまで“外へ”出るのはほとんど社用車。その間気づかぬうちに少しずつ一般社会から隔絶されながら、気づかないうちに脚が弱くなっていって、退職する頃には電車やバスには、情けなや、気持の上で乗れない人間となり、多くはほとんど家に籠ったまま人生が終わってしまう。実に不条理で可哀想だ…。ごめん、ごめん…。話がつい横道にそれちゃって…。

清水 : では、話題を再び私の本業の補聴器に戻させていただきますが、ある調査によると、「現在、日本の65歳以上の2人に1人が難聴者なのに、その中で補聴器を常用している人はわずか5人に1人」とのことです。先生はこの事実を、どう思われますか?

野田 : 全く知らなかったが、…正に由々しき問題だね…。耳が聞こえないことだけで社会生活ができなくなるなんて、不条理極まるよ…。社会の高齢化に伴い、労働力の減少が叫ばれ、日本では働き方の新しい在り方を可及的速やかに整備することが絶対に必要だが、そこで最も期待されるとすれば、日本的慣習で退職した仕事経験豊かな“若手”シニア層。少子高齢化が進むこれからの日本では、彼らが身につけている各種各様な専門的知識・経験と若い現役労働力との組み合わせこそ絶対に必須だろう。ただし、シニア層を労働力とするには、いわゆる体力よりは、眼力と耳力の保持がもっと大切なはずだ。それなのに、老眼鏡に比して補聴器の普及が今もって欧米先進諸国に比して大きく遅れていたとは今まで知らなかったし、僕には信じられない驚きだが、清水君、君には素晴らしいチャンスと重い責任があるぞ!

清水 : ありがとうございます。これからは補聴器の質をどんどん高めながら、現在日本人の間で抱かれている“難聴”と“補聴器”へのネガティブな偏見を打破しつつ、それをどんどん普及させねばなりません。欧米では社会的地位の高い方ほど高質の補聴器を使って活躍しています。クリントンさん、ブッシュさん、レーガンさんなど米国の歴代大統領は現役中に、補聴器を使っていることを誇らしく公言していました。その点、正に現在の日本とは大違いです。補聴器が眼鏡と同じような身近なものにしていくことが、補聴器ユーザーでもある私の使命であり、与えられた天命だと日々努めていきます。

野田 : 眼鏡同様に普及率が上がれば価格も安くなるだろうし、企業も性能向上にどんどん努力するから、補聴器のベネフィットへの人々の期待も高まりつづけるだろう。それに比例して社会もより活性化し、僕のように「90歳も老後ではない」と言える人が増えれば、わが国運も高まる。清水君!君の仕事はそれほど重要なのだから、先ずは「眼鏡くらいに補聴器を普及させること」を目標に、頑張りなさい!

清水 : はい、絶対に頑張ります。先生、本日はお忙しい中、本当に有難うございました。